1822年6月6日、アメリカ・ミシガン州のマキナック島にある交易所でした。当時20歳だったアレクシス・サン・マルタンというフランス系カナダ人の若者が、銃の暴発事故に巻き込まれ、脇腹に重傷を負うという凄惨な出来事が起こります。
偶然近くにいたアメリカ陸軍の軍医、ウィリアム・ボーモント医師がすぐに駆けつけ、懸命な治療を行いました。奇跡的に若者は一命を取り留めましたが、傷が治る過程で思いもよらないことが起こります。お腹の皮膚と胃の壁が癒着し、胃の内部と体の外がつながる「胃瘻(いろう)」と呼ばれる状態が残ったのです。
お腹には皮膚の弁のようなものができ、それをめくると外から直接胃の中を観察できる――現代の感覚では信じ難い状態でした。しかしサン・マルタンはその後も日常生活や労働を続け、結婚して家庭を持ち、78歳(諸説あり)という当時としては非常に長寿を全うしました。
生きた人間の胃で行われた歴史的研究
この極めて珍しい状況に注目したのが、治療を担当したボーモント医師です。
当時はまだ、「胃がどのように食べ物を消化しているのか」が科学的にほとんど解明されていませんでした。「胃が食べ物を機械的にすり潰しているだけではないか」という考え方も広く信じられていた時代です。
ボーモント医師はサン・マルタンの協力を得ながら(時には給料を支払って研究助手として雇用しながら)、その胃瘻を利用して長年にわたり研究を続けました。
- 紐で結んだ肉片を胃の中に出し入れし、消化にかかる時間を観察する
- 胃の中に直接温度計を入れて温度を測定する
- 胃液を採取し、体外で肉片がどのように消化されるかを調べる
現代の研究倫理では到底実施できない実験ですが、この研究によって、人間の胃の働きが初めて科学的かつ体系的に明らかになりました。
その結果、胃は単に食べ物をすり潰しているのではなく、胃液による「化学的な消化」を行っていることが証明されました。
ボーモント医師は現在でも「アメリカ胃生理学の父」と呼ばれています。
なぜ胃液は自分の胃を溶かさないのか?
この研究によって、胃液が非常に強い酸性(pH1〜2)であることも明らかになりました。
すると当然、次のような疑問が浮かびます。
「そんなに強い酸なのに、なぜ胃は自分自身を消化してしまわないのか?」
実は健康な胃の内側は、常に「粘液」という厚い防御バリアによって守られています。
その後の研究により、1836年にペプシンという強力な消化酵素が発見され、さらにペプシノゲンなどの仕組みも明らかになりました。
胃の中では、
- 食べ物を消化する「攻撃チーム(胃酸+ペプシン)」
- 胃の壁を守る「防御チーム(粘液・粘膜防御機構)」
が絶妙なバランスを保っています。
このバランスが保たれているからこそ、私たちは毎日食事をしても、自分の胃を消化してしまうことなく生活できるのです。
バランスが崩れると胃炎や胃潰瘍に
しかし、
- ストレス
- 暴飲暴食
- ピロリ菌感染
- 痛み止め(NSAIDs)の長期使用
などによって、この攻撃と防御のバランスが崩れることがあります。
すると胃の粘膜が傷つき、
- 胃炎
- 胃潰瘍
- 十二指腸潰瘍
- 逆流性食道炎
などの病気につながります。
みぞおちの痛み、胃もたれ、胸焼けなどは、胃からの大切なSOSサインかもしれません。
200年前は「胃の穴」から、今は「眠っている間に終わる」痛くない胃カメラへ
200年前のボーモント医師は、サン・マルタンの胃瘻を通して直接胃の中を観察していました。
しかし現代では、そのような方法はもちろん必要ありません。
当院では、鎮静剤を用いた苦痛の少ない胃カメラ検査を行っています。ウトウトと眠っているような状態で検査を受けることも可能です。
「最近胃がキリキリする」
「胸焼けが続いている」
「胃もたれがなかなか改善しない」
「食事がおいしく感じない」
そんな症状がある方は、お気軽にご相談ください。
200年前の医学の進歩を支えた一人の若者と一人の医師の物語に思いを馳せながら、ご自身の胃の健康にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
