「ウサギの耳が教えてくれた『がんの正体』〜山極勝三郎博士の執念と、惜しくも逃したノーベル賞」

1. 100年前、世界を驚かせた「日本人」

約110年前の1915年、東京帝国大学教授の山極勝三郎先生が、世界で初めて「人工的にがんを発生させる」ことに成功しました。
がんの発生メカニズムは当時、医学界最大の謎でした。山極先生は、地道で根気のいる実験を繰り返し、ついにその一端を解明したのです。

2. ウサギの耳に長期間(数ヶ月〜1年以上)にわたり繰り返し塗り続けた執念

山極先生が着目したのは、「煙突掃除夫に皮膚がんが多い」という臨床的事実。
「煤(すす)の中に発がん物質があるのではないか?」と考え、ウサギの耳にコールタールを長期間塗布し続けました。
1日、2日では変化なし。周囲からは「無駄な努力」と見なされましたが、先生は諦めませんでした。
数ヶ月(多くの場合150日頃)にわたり塗布を続けた結果、ついにウサギの耳に乳頭腫様の変化が生じ、それが癌へと進展しました。これが化学発がんの証明となった歴史的瞬間です。

ウサギの耳にコールタールを塗り続ける山極先生

3. なぜ「ノーベル賞」を逃したのか?

1926年、ノーベル生理学・医学賞の発表。
山極先生の業績は世界的に高く評価され、フィビゲル(デンマーク)との共同受賞も期待されましたが、選ばれたのはフィビゲル単独でした。
彼の説は「寄生虫(Spiroptera carcinoma)が胃がんを引き起こす」というもの。当時の委員会は、この比較的ドラマチックな仮説に魅了されたようです。

4. 後年の検証と「遅すぎた正解」

しかし、フィビゲルの寄生虫説は1930〜1950年代の追試で再現性がなく、ビタミンA欠乏による組織変化をがん(癌)と誤認した可能性が高いことが判明しました。
一方、山極先生の化学刺激による発がんは、タバコ・アスベスト・環境発がん物質研究の基盤となり、今も生き続けています。
後年の研究者や歴史家からは、「山極に賞を与えなかったのはノーベル賞史上の一大誤審」と評されることもあります。

山極先生の「執念の観察」は、現代の内視鏡診断に通じる大切な教えです

  • わずかな変化を見逃さないこと
  • 時間をかけて丁寧に観察すること
  • 「おかしい」と思った直感を大切にすること

当院の内視鏡検査も、この100年前の日本人の情熱を胸に、小さな病変も決して見逃さない覚悟で臨んでいます。
がんの早期発見・予防が命を救う時代。私たちも日々、患者さんの「小さな異変」に耳を傾け続けます。

参考文献
Fujiki H. Cancer Sci. 2014;105(2):143-149.
Stolt CM, Klein G, Jansson ATR. Adv Cancer Res. 2004;92:1-12.
Stolley PD, Lasky T. Ann Intern Med. 1992;116(9):765-769.

大腸内視鏡