朝は元気だった人が、その日の夜には亡くなる。
そんな恐ろしい感染症が、約450年前のイギリスに実在しました。
1485年から1551年にかけて、イギリス(チューダー朝)を中心に計5回の大流行を起こし、多くの命を奪った「イギリス汗熱病(English Sweating Sickness、スウェッティング・シックネス)」です。
患者は突然、激しい悪寒や頭痛に襲われ、その後、全身から滝のような汗を流しながら急速に容体が悪化し、発症から24時間以内に死亡する例も少なくありませんでした。
さらに奇妙なことに、この病気は比較的裕福で健康な若年成人に多くみられ、1551年を最後に歴史の記録から姿を消してしまいます。
なぜ現れ、なぜ消えたのか――。
この謎について、1997年に世界的医学雑誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)』に掲載された論文「The English Sweating Sickness, 1485 to 1551」は、歴史資料を現代医学の視点から再検証し、その正体について興味深い考察を示しています。

単なる「大量の汗をかく病気」ではなかった
当時の医師ジョン・カイウスらは、患者の症状を詳細に記録しています。
病気は突然始まり、激しい悪寒、頭痛、筋肉痛、高熱、動悸が現れます。その後、文字どおり全身から大量の汗が噴き出し、短時間で重症化しました。
特に注目されたのは、多くの患者が死亡直前に激しい呼吸困難(agonal breathlessness)がみられたことです。
NEJM論文では、この特徴から、イギリス汗熱病は単なる発汗や発熱を主体とする病気ではなく、急速に進行する非心原性肺水腫や呼吸不全を伴うウイルス性肺疾患であった可能性が高いと考察しています。
なぜ裕福な若者が多く感染したのか
この病気には、当時の他の感染症にはみられない特徴がありました。
ペストのように人口密集地で爆発的に広がるのではなく、夏季を中心に農村部でも発生し、比較的裕福な若年成人、とくに男性に多く報告されていたのです。
論文では、その理由として、大きな屋敷や穀物倉庫など、ネズミなどの齧歯類が生息しやすい環境との関連が推測されています。
豊かな生活環境が、結果として病原体を媒介する動物との接触機会を増やしていた可能性があるという、歴史疫学ならではの興味深い視点です。
現代医学が最も近いと考える病気
では、この病気の正体は何だったのでしょうか。
NEJM論文が、現代で最もよく似た疾患として挙げているのが**ハンタウイルス肺症候群(Hantavirus Pulmonary Syndrome:HPS)**です。
ハンタウイルスは、感染したネズミなどの齧歯類の尿や糞、唾液に含まれるウイルスが、乾燥して空気中に舞い上がり、それを吸い込むことで感染すると考えられています。
健康な若年者でも短時間で重症化し、急速な非心原性肺水腫や呼吸不全を引き起こすことがあり、致死率は約40%とされています。
臨床経過、高い致死率、齧歯類との関連など、イギリス汗熱病との共通点は少なくありません。
そのため論文では、当時存在した未知のハンタウイルス属のウイルスが原因であった可能性を、有力な仮説の一つとして紹介しています。
もっとも、決定的な証拠は現在も見つかっておらず、その正体はいまだ医学史上の大きな謎の一つです。
歴史は、未来の感染症対策を教えてくれる
1551年を最後に、イギリス汗熱病は歴史の記録から姿を消しました。
ウイルスそのものが消滅したのか、病原体が変化したのか、それとも媒介動物の生態が変わったのか――その理由は現在も分かっていません。
しかし、この病気が私たちに教えてくれることは明確です。
未知の感染症は、現代になって突然現れたものではありません。歴史を振り返れば、人と動物との関わりの中から新たな感染症が生まれ、時には短期間で社会を大きく揺るがしてきました。
イギリス汗熱病は、医学が発達した現代においても、新興感染症への備えがいかに重要であるかを静かに語り続けています。
「過去の医学を学ぶことは、未来の医療をより良くすることにつながります。当院では、最新の医学的知見に基づき、一人ひとりに寄り添った診療を心がけています。
参考文献
Thwaites G, Taviner M, Gant V. The English Sweating Sickness, 1485 to 1551. New England Journal of Medicine. 1997;336(8):580-582.
